沖縄戦を追体験

2006年10月28日 23時45分 | カテゴリー: 平和を願う

 今日は昼過ぎまで沖縄本島南部で、平和について、しっかり考えました。南部は地形が変わるほど攻撃されたといいます。20万トンの爆薬が打ち込まれ、いまだにその1万トンは不発弾として埋まっているそうです。

 糸数にあるアブチラガマに行きましたが、正直、足が震え鳥肌が治まらないほど衝撃的でした。

 沖縄本島はほとんどが隆起珊瑚礁でできていて、何世紀もの雨による侵食であちこちに自然にできた洞窟があります。その数は600~2000とも言われています。

 現南城市の玉城字糸数にある、全長270メートルのガマ(自然壕)は元は住民の指定避難場所でしたが、戦線が南下するにつれ、兵士により住民は退去を余儀なくされたといいます。最終的には住民と負傷兵との雑居状態となりましたが、入り口(今は出口)に近い危険なところは住民の居場所、より安全なところは、住民を守るべく兵隊が、というまるで矛盾している構造はどこのガマでも同じだったそうです。パンフレットにも看板にもありませんが、兵士のための慰安所があったそうです。

 見学では、各自で懐中電灯を持って入っているのですが、当時はそんなものはありません。今でも遺骨が見つかると言います。暗闇の中、10代半ばのひめゆり学徒たちが、麻酔もない中、ほぼ手探りで負傷兵の腕を切り落としたりした、とは、戦時の異常さに驚くばかりです。
 みんなで懐中電灯を消してしばし暗闇体験をしましたが、目を開けてもつぶってもまるで変わらない、そして当時は、600人以上の人がそこにいて、血や膿や排泄物のにおい、うめき声や精神に異常を来たした叫び声、自分の体を食べるウジの音までした、とは知識として知っていることと、実際にその場所で感じるもののあまりの違いに、言葉を失いました。

 そのあと、ひめゆりの塔へ行きました。2ヶ月前にも行って、そのときもいろいろと感じたことはたくさんありましたが、実際にガマに入った後では、感じ方がまるで違いました。
 
 沖縄戦の終盤、投降をよびかける米兵に対して、「出て行ったら男はリンチ、女はレイプ、子どもは暴行されて殺される、いざとなったら自分で命を絶て」と洗脳された人たちが子どもや家族を自ら殺してしまうか、生きていてもそんな場面の中で精神に異常を来たす、そんな悲しいことがあちこちで起こりました。一方、そういう教育を受けていない、戻ってきた日系1世などの人が、「自分の命は自分のもの」として、死のうとしている人たちを説得して、ほとんどの人が生き残ったガマもあるそうです。

 教育の重要性を改めて感じます。そして平和について、「戦争は大変だよね」という抽象的なものではなく、もっと自分たちの歴史としてきっちり捉えることが必要だと思います。戦時とはどういうものか、(悪いけれどそういう言葉は自治体の決算あたりで使うべきものではないと思っていましたが)きちんと伝えていくことが、何よりも必要です。